> 『知性化戦争』はあのページ数だけで怯む人も多いんじゃないかと(^^;
覚えていませんが、おそらく、私が手を出さなかったのもページ数が一因かと。
なにせ「坊ちゃん」が読了できていませんから。「にんじん」も読めていないなぁ。
子供のころ、母親から読むように渡された「次郎物語」なんか、全くページも
開かず。たぶん、そのまま実家に残っていると思う。
最近のラノベも、シリーズの巻数が多いものには最初から手も出さない。
「グイン・サーガ」とかもそうね。
#ペ………
でも「銀英伝」はシリーズが完結して物量がわかってから手を出したな。
ん〜、読みやすさというよりもテーマの重さでブリンに怯んだのかも。
余談ですが、私が読んだ中で巻数ベースで一番長いものは「ガラスの仮面」。
#それは漫画
私の父親は、少なくとも私よりは読書家だった。
山岡の「徳川家康」とか吉川の「新平家物語」を、少なくとも1回は読んでいたはず。
両方とも、私には手が出ない。
最終学歴は中卒だか夜間工業高校のはずなのに、私に比べてとんでもないインテリ。
いや、まぁ、今回私があきらめた「富豪刑事」を読んでいるのだから、この話題の最初の
時点で勝負がついているというか私には勝ち目がないわけなんですが。
宗教の話については、このツリーから大きく外れるのでちょっとだけ。
以前、聞いたことがあるのは、1B/noteさんのお話にも出てきた欽定訳ぐらい読んでいないと
英米圏ではインテリを自称できない、とかなんとか。
宗教書の類は、やはり父の入手した聖書が手元にあります。
聖書協会版のえらく立派な折皮装の文語聖書。
昭和36年の父の蔵書印が押してあるので、それなりに読んだことがあるはず。
父の字でいろいろと鉛筆で書き込まれたメモ用紙が1枚、挟まっていましたし。
でも、この聖書、もらい物なのかな。
「\1,800」と書いてある売り上げカードも一緒に挟まっている。
一方で、奥付のページがないので、正式なモロモロは全く不明。
一応、扉内側の英文の記載の一部に「1953 Printed in Japan」とはあるけど。
どういう流通経路だったんだろう。
うちは名目仏教徒のはずなんだけど、なぜか父はこの聖書をそれなりに大切にしていて、
私が小学生か中学生のころ、学校の自由研究か何かで読ませてほしいとねだったときに、
かなり口を酸っぱく大切に扱うように言われた思い出がある。
そのほかの宗教書というと、唯一かかわったのは、大学時代、モルモン教の布教の人から
経典をもらったことがある。これは、その手のものが好きな友人に譲ってやったはず。
ん〜、記憶違いかな。探したらでてきたりして。
私のように、身を慎むような生活とは無縁の人生を送っていると、どうしても宗教の話は
縁遠いと言うか。なので、私、誤解や無理解を振りまくのは適当に自粛。
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